日々

部屋の中で、咲く草

私のことを、とてもよく知っている人なら、
たとえば死んだ夫なら知っていることだけれど、
ぼんやりした見かけによらず、私は自分が今どういうことで精神的に落ち込んでいるか、
本当はわかっている。これと、これと、これ、と箇条書きができるように…
わかっているけれど、わからないふりをしないと、
悲しくて哀しくて、やってられない。

2017.3.12




また来年。

2017.3.4

じゃあね、義父。

たいていのことは、平気。
だけど、
火葬炉の扉が開いて、奥から聞こえてくるゴーっという音。
それを、平気で聞くことはどうしてもできなかった。

義父と暮らし始めて、私が初めて風邪をひいたとき、
義父は鶏肉入りのもち米のお粥を作ってくれた。
義父は厳しくて意地悪で、大嫌いだった。

義父は梅が好きで、
狭い庭に6本もの梅の木を植えていて、
私は義父は嫌いだけど、その庭が大好きだった。
庭の隅に私はこっそりクリスマスローズを育てていた。
庭師が入った時、私のクリスマスローズに手をつけないように、
義父は棒をたてて、抜かないでほしいとメモを書いてくれていた。

義父のことはわからない。
思い出していると、うっかり好きになってしまいそうだから、
今日は、ここまで。

2017.2.26

うるせえ、静かにしろ。

ちょっと風が吹いたくらいで、ちりんちりん。

風鈴、音をたてるな。
呑みかけのグラスを投げつけたくなる。

2017.2.22

いろんなものが降ってくる

悲しいも、嬉しいも、
いっしょくたになって降ってくるから、
嬉しいだけを拾おうとするのだけれど、
花吹雪の中で泣いているみたいに、
区別がつかない。
手に取ると、どれも、花びらだ。 

2017.2.16

あれ?

前回の記事、日付まちがえちゃったなぁ(^^;
だいじょうぶかな、私…

2017.1.28

私は元気です

一週間後は今日の残像ではなく、
新しい今日を7回積み重ねた後に、ジャンプ。
そんな、小さな一日なのだと思う。

2017.1.20

最近のこと

二週間前、私は車にはねられた。
横断歩道を歩行中、よそ見運転の高齢者の車に。

幸いなことに生きている。
そして、意識が無くなっていたので、
道路に転がって救急車を待っていた時の記憶がないのは、
結果的にとても幸運だったと思う。

少し前のことのようにも、
ずいぶん前のことのようにも思う。
でも、私はまだ加害者の謝罪が受け入れられない。
誠意を示すという、自分のための謝罪。
そして、そんなふうにしか思えない私自身に対する嫌悪。
なぜわからないのだろう。
もう二度と運転しないという証明をしてほしいだけなのだ。
それ以外のかたちでは私の心に届かないのだ。


明日は東京国際フォーラムに搬入に行く。
傷や影響を受けた体の痛みで、この二週間、ぼんやり過ごした。
でも、明日からまた頑張るぞ。
こんなことで負けないように。笑ってね。
私自身のために。支えてくれた大切な人たちのために。

2017.1.23






万華鏡展のお知らせ

「お知らせ」に書きました。
よろしくお願いいたします。

2017.1.19

がく

年末に行った世田谷美術館は砧公園の中にある。
公園の歩道に植わっているハナゾノツクバネウツギの枝先を摘んで、
持って帰って来た。
写真は花が落ちた後の、がく。
白い花が咲くのだけれど、がくの姿の方が私は好きだ。
漢字では「萼」と書くのだけれど、鰐(わに)を連想してしまう。
刀の鍔(つば)も似ていて、落語の「雛鍔」を思い出したりして、
可愛い気持ちになったりもするけれど。

ん…、どんな花にしても、
「がく」は健気で可愛くて好きだから、やっぱりひらがなで。

あれ?
こんなことを書きたかったわけではない。
最後から二番目に行った、升たかの個展が心に残る、と書きたかったのだった。

2017.1.4の夜の続き




よろこび

振り返ってみたら、生まれて初めて、ひとりの元旦を過ごしたのでした。

大嫌いだった「神様」のお札を全部、神社の木の箱に納め、
参詣の行列から離れ、横浜線の線路を超え、
川沿いの道をずんずん歩いて行くにつれ、
何枚も何枚も重ねていた上着を一枚一枚、風が脱がせてくれている、
そんなふうに感じました。

この世には、色々な形の幸せがある、
そんなふうに思いながら、私の好きな道を歩き、
私の好きな木のところへ歩いていきました。

2017.1.2



散歩

あけましておめでとうございます。

久しぶりに川沿いを散歩しましたら、
日差しや微風が体の中まで届くようでした。

今年もよろしくお願いいたします。

2017.1.1

ここ

苦しい息の中で、水を飲みたいと願う義父の口に、何度も砕いた氷を運ぶ。
最後のひとかけが口の中で溶けると、
「ごちそうさん」と言うのだ。
その言葉を聞いて、私は頭から暗い空間に落ちていく。

クリスマスイブの午後、義母を老人ホームに連れて行った。
帰りのタクシーの窓から、夢のようなイルミネーションが見えて、
それがカトリック教会だとわかって、そうか、と思った。

ここは、私だけの小さなあたたかい夜。
ここではひとりであり、でもそれを見ていてくれる人がいるから、
安らいで、あたたかい小さな夜。


2016.12.25




一瞬

こんにちは、と言う時の顔が好きだ。
一瞬、光が差して眩しい。
時間は、長さを許されないと、行き場を求めて深いところへ向かう。


2016.12.18

南天の

南天の一枝の葉の形がとても綺麗で、
私たちはとてもたくさんの奇跡の中で生きているのだと思った。

2016.12.17

ハチドリの神様

小さな神様が、私の鼻先でホバリングしている。
そんなことを頭の片隅で思いながら私は、
真剣に話している人の目の前で、眠ってしまう 。

こんな私を助けてください、なんて言ったら、
きっとまた怒られるんだろうな。

「眠い」は、舐めてみたら、甘い味がするんだと思う。
神様、ちょっと舐めたら、あっちへ行ってください。
そしたら私は目が覚めて…

人は神様よりずっとやさしい。
「お疲れですね」
そう言って、しんっと黙ってくれる。

2016.12.2




つかの間

瞬間瞬間の、私の目に映った光景を留めようとして、
心のシャッターを切るのだけど、
そのひとつひとつに言葉を添わせることが上手にできない。
いつかそんなことがほんの少しでもできるように、
40年も前から希望み続けたことが、いつかできるように。
そんなことを考えています。
 
「もの」と「こと」をいつも同時に考えます。
「こと」を伝えたいときは「もの」 のかたちで伝えたい。
愛おしい気持ちを伝えるときには、その人の手に紅玉の林檎をそっとのせる…
そんな、手の中の重さのような言葉で、伝えたいと、
ずっと思い続けてきたのです。

2016.11.29





個展終わりました

ご来場くださいました皆様、ありがとうございました。

個展って、こんなに楽しいものなんだぁ、と思いました。
色々な方と万華鏡の話や、万華鏡以外の話をできました。 
会いたかった人、話してみたかった人、お世話になった人、
そんな人たちに会うこともできました。
またがんばろう!と思うことができました。
そんなふうに思わせて下さったギャラリー田中のお二人に、心から感謝します。

個展最終日の直前、夜中に家族が救急車で運ばれて入院した。
救急外来の廊下で朝まで座っていた時、突然思い出したことがあった。
「女の人って、どうして若いときは果物みたいで、歳をとると野菜みたいになるの?」という言葉を聞いて、
笑ったことを突然思い出したのだ。
今の私は根菜類だな、と思った。
キャベツだの小松菜だの白菜だのブロッコリーだの、そういうのとは、もう違う。
土の中でどんどん下に向かって伸びる感じ。
そんなことが頭に浮かんで、そのまま目を閉じて、
先っちょの細い根が伸びて伸びて、伸びたところに透明な水がある。
そんなことを真夜中の病院の廊下で夢想していた。

2016.11.20




個展中間報告

個展は残すところあと二日になりました。
銀座に通う毎日は、思いのほかほわっと穏やかに過ぎていきます。
それには色々な理由があると思うのですが、理由のひとつだと思うのは、
ほとんどの方がギャラリーの入り口を入ったとたんに、褒めて下さるからだと思うんです。
「こんなにたくさん作ったの!頑張ったねぇ」
私はのろまでどんどんたくさん作れないのをご存知の方が多いんです。
万華鏡は覗いて見なければわからないものですが、
私の場合、頑張って作ったというだけで子供みたいに褒めてもらえます。
そんな時、私は子供みたいに嬉しくなります。
わあい、と思います。
でも、その後は作品に任せるしかありません。
子供ではいられない。
あぁっ、もう一度作り直させてほしい、という思いを抱えて帰りの電車に揺られます。

次はもっと丁寧に、優しく…
そのためには、もっと強い緊張に耐えられる強い自分になりたいと、
思うんです。

2016.11.17


個展始まりました

昨日から始まりました。
みなさんじっくり時間をかけて見てくださいました。
北海道、三重、名古屋、福島など、遠方からもお越しいただきまして、
感謝の気持ちでいっぱいです。

陶芸仲間の田中悦子さん作の陶の小さなお家や、ギャラリーの田中さんのディスプレイに大いに助けていただいて、居心地の良い空間になっています。 

お時間がありましたら、どうぞいらしてください。
よろしくお願いいたします。私は毎日います。

2016.11.12
 

もうすぐ個展

31点の万華鏡を作り終えて…
作り終える、なんて言い方は違うなぁ。実際何度も作り直したものもあり、
力尽きた、というのが一番しっくりくる。今の私の力では。
今週は早く寝ること、そして風邪をひかないことを自分の仕事と決めた。
発送のための段ボール箱に詰めたら、体中が痛み始めて、
疲れていたんだと気づいた。

人が、70%の力を聞くことに費やし、30%の力を語ることに費やしたら、
この世はずいぶん穏やかで居心地が良い場所になるのではないか、と思う。

2016.11.7


冬のために

武田史子『息吹』

枯葉
モミジバフウの実
クリスマスローズ
サルトリイバラの実
メジロ

これから来る冬の私を励ますために

2016.10.27

11月11日から個展です~(^^;
「お知らせ」見てくださいね~(^^;;

 

たちきり

この頃、お線香の燃えるのが速いなあ…と思う。
最近のお線香はそうなのかなぁ、
いろいろ頂いているので、いろいろだと思うのだけれど、
どれも速いなぁ、と思う。
そんなふうに感じるようになって、落語の「たちきり」という 噺をよく思い出すようになった。
(「たちきり」の筋は、ご存じない方はgoogleで調べてね。)
当時、芸者の花代は線香の時間で計ったそうだ。

線香が速く燃える、というのは、どういうことかな…
曖昧に手を合わせながら、ぼんやり考える。

2016.10.19






ほとり

心の中に、小さな湖がうまれて。
まだ薄暗い明け方、そのほとりを 歩いた。

こんなに穏やかに満たされた気持ちになれるなんて。

もう、迷子にならない。
歩き出した所に戻って、今日を静かに始められる。

2016.10.13



個展のお知らせ

トップページと「お知らせ」に個展のお知らせを書きました。
一か月先なので、またここで時々「個展やります~!」と叫ばせてください。 

DMには、栗原秀雄さんが撮影してくださった「星の隠れ家」の内部映像を使わせていただきました。
ギャラリー田中は今年開廊20周年。
万華鏡がスコットランドで生まれて200年です。
偶然。ちょっと嬉しい。

すっかり涼しくなってきました。コーヒーはやっぱり温かいのがいいね。


2016.10.11

心の音階

人と話していると、わかりにくい言いかたかもしれないけれど、
その人の心の音階を感じながら会話しているのだと、思う。

共通の話題がある、というのは誰が相手でもとてもラッキーなことで、
楽しく会話は盛り上がるけれど、それとは違う。
感じ方、と言うのとも違う。
自分と同じように感じる人なんて、いないし、
それは悪いことでも良いことでもないし。

心の音階が合う人との会話は合唱とか合奏に似ている。
相手の音を聴きつつ、自分の音を出すことができる。
それは、とても幸せな時間。

2016.10.7







硝子は眠る

5年以上前に買ったけれども使えなかったガラス。
その時は、その黄色がどうにも使いこなせなくて、
「これ以上考えるのは止めよう」と、そのまま放置した。

ガラスって、眠るんだなぁ。
人よりもずっと長い年月をじっと眠っていたんだなぁ。
そんなふうにしか思えない感じ。
ある日、唐突に目覚めて、
私はこの色です。
ときっぱりと言い放つ。

はい。では私はあなたの黄色で、カナリヤを作ります。

私は変わったんだろうか、
そんなに簡単に変われるわけない。

では、やっぱり、ガラスが長い夢を見て、上機嫌で目覚めたのだ。

2016.10.5

ところで…ここは本当に落ち着く。
冴えない、泣いたり、愚痴ったりの私を見捨てずにいてくださる、
見えないけれど感じる、多いのか少ないのか、いや、私にはとてもたくさんの方々のおかげで、今夜も、でへへ…と笑って眠ることができる。ありがとうございます。心から。

カナリア

金糸雀 と書いてカナリア。
ただいま新作「カナリア」を製作中、えへへ…^^ゞ
カナリヤのほうがいいかな…

テーマが具体的で小さいほど、作っている実感を感じられる。
それは「そんな気がする」とかいう曖昧なものでなく、
できる限りそういう形で、作り、手渡したい、と思う。
そして、その先は受け取った人がイメージを膨らませてくれたら、
とても嬉しい。

嬉しいことがあった。
自分のことじゃないけど、嬉しくて、ちょっと泣いた。

2016.10.2



金木犀の花の下

4年近くの闘病の後、去年夫は逝った。
医者だったからか、すべて淡々と受け入れ、淡々と仕事をし、
それでも一日でも長く生きようとした。

命の期限が切られてから、私たちは「いい感じに撮れたら遺影にしようね」と言って、
お互いの、特別な写真を撮るようになった。
結局遺影に使ったのは、田沢湖畔の蕎麦屋で撮った写真で、
葬儀の際には「とてもいい写真だ」とずいぶん褒められた。

良い夫だったとはとても言えないけれど、
遺影の笑顔は私だけを見ている。それが、まぁ、少し嬉しいかな。
でも歳月は誰の上にも平等に降る。
私はもう田沢湖畔の私ではない。
一日一日老いて、少し遠くまで来た。
もうあの時の私ではいられないのだ。

今日、息子の息子6歳が、金木犀の花の下で写真を撮ってくれた。
自分の自然な笑顔が嬉しくて、「明日死んだら、遺影にしてもらおう」と思っている。

「今朝窓を開けたら、今年初めての金木犀の香りがしたよ」
そう言うと、
「俺は食い物の匂いしかわからん」と夫は言った。
本当にわからなかったのかなぁ…


2016.9.28

もどってくるひこうき、もどらないひこうき

夫は戦闘機が好きで、ずいぶん綺麗で可愛らしい模型を集めて、
ほとんど誰も入らない自室に展示していたが、
息子の子供にはソフトグライダーという、薄い発泡スチロール製の飛行機を買い与えていた。
遊び相手をするのは専ら私で、隣の公園で遊ぶ私たちを夫は3階 から眺めて、
時折手を振っていた。

今日は久しぶりに、6歳になったその男子と飛行機を飛ばした。
平日の人気のない公園は、金木犀の香りが満ち満ちて、
香りの分だけ心地良く重い空気の中で飛行機を飛ばすのはとても楽しく、
その飛行について喜んだり落胆したりを繰り返し、午前午後、3時間近くを公園で過ごした。

風が止んでふっと静かになった瞬間を待って、ふわっと飛ばすと真っ直ぐに遠くまで飛ぶ。
「ふわっと」は形と気持ち。逆らわずに空気にのせる感じ。
そんな感じを、6歳男子が私の言葉を超えて体得していくのが、とても嬉しかった。

一昨日、渋谷のBunkamuraに万華鏡展を見に行った時、
すぐ隣の小さなショップの前で、若い男の子が、小さな飛行機を飛ばしていた。
それは、絶対に戻ってくる飛行機で、繰り返し繰り返しその様子を見せているのを、
私はしばらく眺めていたが、観客がいないからか、すぅっといなくなってしまった。

ざざざざっと砂に頭から突っ込む、
草の繁みに見えなくなる、
藤棚の柱に激突してひっくり返る、
その堕ちた飛行機を拾いに行くとき、6歳男子は走る。急ぐ必要はないのに走る。

絶対戻ってくる飛行機って凄い。
でも、私はあまり好きじゃない。
その飛行を追って、思いがけない場所と景色へ、
導いてくれる飛行機が好き。

2016.9.27




 

すきになったら

ヒグチユウコの『すきになったら』という絵本を読んで、
本屋で泣いた。 

買って帰り、家で、何度も泣いた。

主人公は可愛らしい少女の姿をしている。
少女がすきになった相手は、ワニの姿をしている。
「すきになったら  しりたくなる」から始まり、
すきになったらどうなるか、誰でも知っていることが、短い言葉で、
でも、たった今水の中から拾い上げた白い小石のように、
瑞々しく語られていると感じるのは、少女の表情のせいだろう。

最後は、「すきになったら わたしの いちぶは あなたになる」
という言葉と、少女のスカートからワニの尻尾が生えている絵。

すきになることの本質しか書かれていない。
余分なことは何も書かれていない。

すきになる、というとてもシンプルなことに、
歳をとるとごちゃごちゃ説明をつけたくなる人が多い。
私はそんなふうになりたくない。

ワニも、知的でとても素敵だ。

2016.9.16


写真が撮れない(;;)

たぶん、私の万華鏡は世界で一番オブジェクトが少ない。
覗いたら何も見えない。
だから、展示会では「なんだ、何も見えないじゃないか」と、
覗いてすぐテーブルに置かれる、ということが凄く多い。

でも、私の理想は、闇からの展開。
何も見えない状態を作ることができなければ、それは私にとって失敗作なのだ。
だから、失敗は私の心の弱さ。

でも、DM用の写真を用意しなくてはならず、映像の写真を撮っていたが、
精根尽き果てました。栗原さんにSOS。

もう、今夜は寝る。

2016.9.8


かたち

一番きれいな図形ってなんだろう、ってふと思う。
ふと思うを繰り返しながら、そういうことじゃないんだと思い直す。

幼稚園に入る前から子供向けの植物図鑑を見ていた。
その中に描かれていたポンポンダリアが、幼児の目にはとてもとても丸くて、
どうして地面から生えてくるお花がこんなにまん丸なの?と思っていた。
だって、いつも触っている草や花はいろいろな形で、
そんなにまん丸なものはなかったから。

雪の結晶は六角形。
星はいつから五角形になったの?

水が一杯に入っている器を両手でいつも持っている感じ。
ほんの少しの水が注がれると溢れ出してしまう私の器は、
本当はどんな形をしているのだろう。

たらたら、たらたら、こんなふうに書いていると、
夜中、疲れがすこしずつとれていく。気がする。

2016.9.6

秋海棠と、台湾のハサミ

午後3時になったから、手を止めてハゼランの花を見に行ったら、
(ハゼランは午後3時頃花が開きます)
ハゼランは一本残らず なくなっていて、
でもこんなことはよくあることで、
(何が綺麗だと思うかは、人それぞれ違うから)
あまり辛い気持ちにならないように、自分を励ましながら歩いていたら、
秋海棠の花が咲いていた。
秋海棠は中国からやって来て、この地に馴染んだ植物。
よく来たねえ。嬉しいね。

お昼前たまたま立ち寄ったアジアの職人の技の展示コーナーで、 
台湾の職人さんが作ったハサミを買った。
ガラスに巻く銅のテープを切る小さなハサミを 、
あれこれ買っては 手に馴染まず、使うたびにストレスを感じていた。
台湾のハサミ、とってもいいです。
切れ味、形、重さ、それに、可愛さ。
たぶん、ずっと、死ぬまで使うと思う。嬉しいね。

2016.9.5





かやつりぐさ

高校の寮が館山の海のすぐ近くにあって、土日をそこで過ごしてきました。
植物が好きな私は、高校の時、生物部員でした。
五月の連休にはそこで合宿をしていました。

謙虚で、自分を大きく見せようとしない人が好きです。
そんな人たちが生物部にはたくさんいたのでした。
そして歳を重ね、その素敵さがさらに膨らんでいるのでした。

この合宿が終わったら、秋だと、頑張るんだと、決めていました。
秋が来て、どれくらい頑張れるのか、少し心配。だけど…

道端のカヤツリグサが、かっこよくて綺麗で、一本引きちぎってきました。
「きれいだなあ」と思うことが、私の力になるのです。

2016.8.30




近況、だらだら…

そごうの展示会のお知らせから、もう3週間も経ってしまったのだなあ。

私、今とてもいい感じで万華鏡を作っています。
11月に個展をする予定があり、それに向けて制作しています。
2年も前にギャラリーに声をかけていただいていたのに、
目の前の事情にかまけて準備ができないうちに、焦りだけが 膨らんで、
作りたくないものまで作ろうとして苛立っていた時、
思い余って万華鏡仲間に相談すると、
「作りたいものだけ作ればいいんですよ」と言われました。

言葉というのは不思議ですね。なんでもないような言葉が、
その時のタイミングや聞く者の心の状態によって、すうっと心の底まで届き、潤す。
観葉植物8個(8人と言いたいところだけれど)と生活しているので、
水をやるタイミングの大切さを日々実感している。
その感じに似ているな、と。

それから私はとても気楽になり、気楽になると楽しくなり、
ギャラリーのオーナーの「無理のない範囲で」という言葉に素直に甘えることができるようになり、
そうすると自分が見えるようになりました。
ずいぶん久しぶりに万華鏡を作るのが楽しくなりました。

「透明な花」という名で作ってきたシリーズは、
作ろうと思えば20種類作ることができます。
ひとつひとつに名前があります。
それを全種類揃えてほしいというお言葉をいただくのですが、
もうそんなことはしたくない。
自分の年齢を考えると、あと何年万華鏡を作ることができるだろうか。
作りたくないものを作る時間はないのだ。

今年の1月から、陶芸教室に通っています。
楽しくて楽しくて嬉しい気持ちが、私を自由にしてくれます。
そんなところも、ちょっと。

だらだら書きましたねぇ。へへ…
あ~もう午前3時20分。
オヤスミナサイ。

2016.8.23



お知らせ

そごう横浜店の展示会のお知らせ。
ここの「お知らせ」に書きました。

ちょっと見てみてください。
よろしくお願い申し上げます。

201.8.2
 

窓辺のシアワセ

窓際の席に座って、先生の話なんか、聞いていただろうか。

今日も明日も明後日も次もその次も…そんなこと、流れる川の水の中だ 。

川面の光や、草いきれ。

写真は一番最近来たアロハリリー。
ここが気に入ったみたい。落ち着いて咲いている。

2016.7.28



ベランダのシアワセ

なんだか愚痴っぽいことばっかり、書きたがる癖。私、あるね。

では、久しぶりに花の写真。
ベランダで暮す 、とても幸せそうなヤツラです。

エバーフレッシュの花とハイビスカスの花。

朝顔もハイビスカスも一日花。だけど。
朝顔の花って、毎日違う顔をして咲くのに、
ハイビスカスの花は毎日同じ顔をして咲くような気がする。

今年は朝顔はなし。
ほらほら、また「悲しがり」が始まっちゃうぞ。

2016.7.27

おしろい花のコーヒー

毎日まいにち、頭と体が痛い。
鎮痛剤は笑っちゃうほど律儀に4時間で効かなくなる。

昼間うとうとした時、夢を見た。
「オシロイバナのコーヒーが効くんだって」
誰かの言った言葉だけを拾い抱えて、目が覚めた。 
夢の原料は自分の頭の中にあるから、オシロイバナのコーヒーは、
子供の時飲んだ酸っぱいインスタントコーヒーなのかもしれない。
もっと草の匂いを!もっと夕方の香りを!(これは私の注文)

大橋巨泉が逝った。少し前に永六輔も逝った。
「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように…」という歌、
それはそれは良い歌なのだろうけれど、正直言うと肌に合わない。
こんなこと言うと、「非国民」みたいね(笑)

「下をむいて全部流してしまえ 涙
ふと目に飛びこむ気高く咲く草になぜか 嫉妬」

エゴラッピンの「BRAND NEW DAY」の一節。

こっちのほうが好き。

2016.7.25

やっぱり、ね

ずっとずっと前、私は詩を書いていて、
その時と同じ気持ちで万華鏡を作っているのだと思う。

幸せにならなくていいから、人の心の底に届く詩を書きたい。
そう思っていたことを、今日思い出した。

万華鏡は、幸せにとても近いところにあるから、
いつの間にか自分の立つ地面を忘れてしまう。

笑われちゃうかな?笑っちゃって。

私はやっぱり自分の腕に抱える闇を見つめなければ、
生きられない。

201.7.22




蝋燭のこと、キャンドルのこと

蝋燭を灯して小さい夜を過ごすのは、ずっと前から好きだった。
翼のついたキャンドルは、akariさんのキャンドル。
風のない暗い部屋で、翼が揺らめいて大きくなったり小さくなったり、
壁に影を映しながら燃えていた。

炎は生きている。
そう強く思ったのは、芯の太い和蝋燭を灯したときだった。
高島野十郎の蝋燭の絵に音を感じた。

最近は、先日小樽のキャンドル工房で買ったガラスの筒に、
ティーライトキャンドルを入れて灯すのが一番落ち着く。

まぁ、そんなことが書きたかったわけではなくて、
花のこと、仏花のことなど書きたかったのだけれど、
キャンドル灯して、呑み過ぎました。
今夜はここまで。

2016.7.16






ありがとうございました

神楽坂の「えすぱす  ミラボウ」の展示会が今日終わりました。
暑い中お越しくださいました皆様、ありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

私は小心者なので、展示会があるたび、
「出来が悪いんじゃないか」「売れないんじゃないか」と、
ビクビクと恐れながら搬入する。 だから、


完売したよ、と言うと
「ほら、言ったとおりだろ」といつも夫は言った。

いないんだなと、つくづく思う。

私は最近すぐ泣く。
ちょっとしたことで泣く。

ちょっとしたことで、笑う。

2016.7.8



かこと

人はみんな、手の中に小さな魔法を持っている、と思う。

違うのかしら?

少なくても私の好きな人たちは、そういう人たちだ。

今夜会っていた、かこも、そう。
顔いっぱいで笑ながら、ぱっと開いた掌から、
もくもくっと煙を出して、また笑っている。もう…

次行く店、もう心当たりがあるの。
駅のあっち。初めていく店なんだ。

2016.7.4



7月3日

おそれ。と不安。
待ちわびて、喜び。
入り組んだ落胆の小径を
迷いながらたどりついた、謝罪。

「ごめんなさい」は小さな小さな幸せだ。
見上げれば、3センチくらいの、
夜空のちぎれ雲のような、
深いやすらぎ 

2016.7.3

万華鏡展のお知らせ

6月29日から神楽坂の「えすぱすミラボウ」で16人の万華鏡展が始まります。
お知らせに書きましたので、見ていただけると幸いです。 

2016.6.18

茄子の揚げびたし

私の夏の趣味に「茄子の揚げびたし」がある。
素揚げした茄子を薄く味付けした出し汁に浸して、冷たく冷やしたもの。
茄子の切り方とか、味付けとか、薬味とか、作る人によって色々 のようだ。私も色々変えて作っている。
今年の私のこだわりは、素揚げした茄子の油をできるだけ丁寧に吸い取ってから、出し汁に浸すこと。
茄子は揚げると 、他の調理法に比べて格段に甘く美味しくなる。
でも、そのまま出し汁に漬けては、唇までギトギトの、
私世代には辛い一品になる。

今日はお客さんが来た。
来た、と言うより、来てもらった。
佛淵静子の絵を壁にかける手伝いをしてもらおうと思って、
お願いして来てもらったのだ。
ダイエット中ということなので、お茶菓子替わりにと、
昨日から「茄子の揚げびたし」を作って冷蔵庫に用意していた。

それなのに、すっかり忘れてしまったのだ。
絵がとてもいい感じにかけられて、嬉しくなってしまったせいか。
真夜中に冷蔵庫を開けて思い出し、食べてみた。
美味しいよおおお。

絵の写真が上手く撮れない。
ということで、今日の「日々」は「茄子の揚げびたし」になってしまった。
佛淵静子「虫草季」。丁寧にたどると見られます。

2016.6.10

佛淵静子、甲秀樹

昨日は駒沢大学の近くの画廊に、佛淵静子の個展を見に行った。
佛淵静子の絵を知ってから、見たくて毎日展覧会がないかチェックしていて、4日から始まったのを知って早速行ってきた。
ナースが奇妙なポーズで踊っている「偏西風」が特に印象に残る。
奥から出してくれたオーナー所蔵の「虫草季」を購入。
私の家には大きいので迷ったけれど、気持ちは戻れない。なんとかなるさ。
明日届くと思う。そわそわして落ち着かない。

その後銀座線で銀座に出て、スパンアートギャラリーの甲秀樹人形展を見た。妖精の表情が物凄くいい。7日まで。お勧めしたい。

2016.6.6


黄色いのも咲いた

なんか唐突に咲くんだもん。困るわけじゃないけど。
無口なサボテンと話ができたらいいなぁ。
「今どんな感じ?よそのサボテンはどうなの?」

昨日は、「笑点」の司会を勇退した歌丸さんと小朝の二人会に行った。
歌丸さんは足腰はともかく、元気で頼りない感じがなくて嬉しい。
小朝はやっぱり上手いわぁ。瞬間的に落語ではなく演劇を見ているような 錯覚。歌丸さんは「紺屋高尾」小朝は「試し酒」。

今日は一日雨だったね(って自分に話しかけている)


2016.5.30

5月26日

短い眠り。長い一日。

どうしたら上手に朝を迎えることができるのか、
そんなくだらないことばかり考えているうちに、
死んだ夫の誕生日になってしまった。 

酒豪の夫が、バランタインの17年が一番好きだと言い続けたことは、
私や息子に対する思いやりだったのかもしれない。
私達はどれだけのバランタイン17年を贈っただろう。

私達は仲の良い夫婦ではなかったが、
私はご機嫌をとるのが上手で、夫はご機嫌をとられるのが上手だった。

死んだ日より、生まれた日。
ボトルの首にリボンを結んで、59歳の誕生日、おめでとう。

2016.5.26


サボテンの花が咲いた

死んだかと思ってたのに。
嬉し~

2016.5.21

マキちゃん

マキちゃんと東京で待ち合わせして、
ランチの後、ステーションギャラリーの椅子に座ってずっと話をした。

通り過ぎたことや、今抱えている大小の悲しみ。
途中で眠ってしまう私のことや、マキちゃんのこと。

昔々高校の通学の帰り、南武線の中で私がねだると、
マキちゃんは私の耳元で歌ってくれた。静かな静かなアルト。

もう声がでなくなったよぉ、と言う。
じゃあ、その声で聞かせて。
聞こえる音も聞こえない音も、全部受け止めるから。

2016.5.17





もう一回若冲

7時半から並んで、若冲を観てきた。
頑張って、良かったなあ。
「動植綵絵」をTVでは盛んに言っていたから、
観客の押し合いへし合いの中、やっとの思いで見ることができた。
そうか、こういう大きさだったのか、と先ず思う。
もう…言葉がない。
でも、やっぱり私は「鳥獣花木図屏風」(マス目のあるヤツ)の前で地面がぐらぐらするような感じがした。
ミラクル?
この狂ったような若冲ブームを、風俗と笑う人たちもいるのでしょう。
私は嬉しかったなあ。今まで画集で見ていたものが目の前にあるんだもの。

2016.5.16




ヤマモモ

作業部屋の窓の向こうにヤマモモの木が立っていて、
机に向かうと目の高さより高くまで伸びた枝の先に、
オレンジ色の新芽が吹いている。
あとどのくらいで、窓を隠すほどになるのだろう。
部屋には硝子や機械や道具がごった返している。
どこへも行きたくない。
この部屋で死にたい。

2016.5.15
 

一之輔

今日の鶴川落語会は桃月庵白酒と春風亭一之輔の二人会。
二人とも好きで楽しみにしていた。特に白酒は風貌も好き声も好き、かわいい。
この歳になってつくづく思う。噺家に限らず、男はかわいげのあるのがいい。

ところで、今日の最後の噺は一之輔の「らくだ」だった。
このダイナミックな噺は大好きで、家では小三治のCDで繰り返し聴いている。
一之輔って、なんとなくこわい感じがして、緊張感のある「好き」なのだけれど、
その凄みが登場人物を生き生きとさせて、とっても素敵だった。

「好き」に一筋悲しみが混じると、恋に変わる。
その悲しみはどこから来るのかわからないが、
今日、私は春風亭一之輔に恋をしたね。
帰り道、噺の中の屑屋さんのように、大きな茶碗で日本酒をあおりたい気分だったが、
ビールとハイボールを飲んで、それでもいい気分で家に帰った。

2016.5.14

若冲展

若冲展を観に上野に行ったら、東京都美術館の前は人の海。
入場までに2時間40分。その前にチケットを買う列に並ばなければ。
GWが終わったら若冲を観るのをとても楽しみにしていた。
なのに、列に加われなかった。
もし友達が一緒で「2時間40分待つよ!」と言ったら、喜んで並んだと思う。
一人ではそれができなかったことで、敗北感のようなものを味わった。
以前なら自分で自分を励まして、きっと若冲を観てきたと思う。
また出直そうかな。早朝か午後遅く。
会期が短く、巡回展もない。みんなこんなに観たがっているのにね。

代わりに、ではなく観たいから観た「カラヴァッジョ展」で、
「法悦のマグダラのマリア」に救われた。

若冲を観られなかったモヤモヤを解消するために、
高島野十郎展を観に行こうかと思ったが、昨日の夕刊で取り上げられていたのを思い出し、
そこもまた人の波ではないかと躊躇ってしまった。ダメだなぁ。

で、日本民芸館の「朝鮮工芸の美」を観に行った。
ここはいつも静かで落ち着ける。駒場の緑も、とっても。

2016.5.11

 

傍嶋飛龍万華鏡個展

外観が可愛くて、ひとつひとつの作品に物語があるのだな、と思った。
映像は憶えていられなかった。

一番強く感じたのは、
不出来であることを「味」と言い換えない人ではないかということ。
ご自分の作品に対しては。 
飛龍さんの万華鏡が不出来だということではなく。 

飛龍さんのことはほとんど存じ上げないけれど、
小さな信頼感が私の中に勝手に生まれた。

2016.5.3

桑原弘明展

昨日は中野ブロードウェイのGalleryリトルハイで開催中の、
桑原弘明展を見に行った。
今回はscopeの他にいくつかオブジェを見ることができて、嬉しかった。
初めて桑原さんの作品を見たのは、1995年作の「だから予感よ現れよ」。
以降たくさんのscopeを見ることができて、本当に幸せだ思う。
知らないことの海の中で、ほんの少しの知っていることが、奇跡のように感じる。
最近そう思うことがよくある。 恵まれているということだろう。 

2016.5.2

森羅万象を刻む

昨日は町田市立国際版画美術館で始まった展覧会を見に行ってきた。
ビュランという版画の彫刻刀による、直彫銅版画と小口木版画の展覧会。
柄澤齊の小口木版画が好きなので、行ったのだけれど、
一夜明けても目の奥に焼きついているのは、
クロード・メランの「聖顔」という作品。
鼻先から始まる一本の線で表現されている。
交わらない線でできたキリストの悲しい表情。
驚きのあと、胸に浸み込んでくる。

2016.5.1

お食事

たいていの食い物は
「フンベツ」というスパイスを振ると、まずくなる

2016.4.29

越えて

エゴラッピンの結成20周年記念の3枚組CDを聴きながら、
万華鏡を作る毎日なの。
エゴラッピン好きでよかったなあ。
私の乏しいエネルギーを150%出させてくれる。
ということは、50%は負債を負うということだけど。まあいいや。

3ヵ月、3年、20年
そんな感じのハードルが私の中にあって、
ハードルを越えたり、越えられなかったり、
そんなふうに遠ざかった物事や人、離れられなかった物事や人。
でも、それも結論じゃない。
消えたと思っていたものが再び姿を現すこともある。

懐かしかったり、ほっとしたり、そういうことが何より大切だった。
今はスリリングであることに惹かれる。
(無駄な難解のことじゃないよ)
言葉が素敵。抗えない。

2016.4.25


季節はずれの

ベランダの大文字草の葉が、
最近濡れたようにツヤツヤしていると思っていたら、
花が咲いた。10月に咲いたのになぁ。
なんか、痛々しい感じ。

2016.4.23 

通院日和

ピクニックに行くようにバスに乗り、
草に座るように待合室の椅子に腰かけ、
蝶々と戯れるようにお医者さんと言葉を交わし、
飴玉のように大好きな薬をもらった帰り道

バス停には、ミルクオレンジ色のナガミノヒナゲシの花
こんなに可愛いのに好きになれないのは、その繁殖力の強さのせいだね
強いのは罪じゃないのに

バスが近づいてくる
どのタイミングで日傘を閉じるか、
迷ったまま、目の前で扉が開いた

2016.4.18



目印の木

駅から真っ直ぐに続く道、
私の家の窓が見えるころ、右手に大きなクスノキが立っています。

今、そのクスノキが紅葉しています。
柿の葉と桜の葉、その紅葉を足して2で割って、
葉の縁をそっと指先で波立たせたような紅い葉が、
大きな木の下に散っています。
でもクスノキは常緑樹。
見上げれば緑の葉が繁り、
無数の黄緑色の小さな花の蕾が見えるのです。

この退屈な道をやってくる人へ

早く来てください
そして、
ゆっくり歩いて来てください

2016.4.15







ウマノスズクサ

林の中を二匹の鹿がぴょんぴょんと駆け下りていくのを、
バスの窓から一瞬見た時、
「ウマノスズクサ」という言葉が頭に浮かんだ。

鹿とその草とは何の関係もなく、姿も何も似ていない。
思い出もなく、もう何年も思い出すこともなかった名前。
ただその音が、響きが好きだった。だから?
体の暗いところから、あるいは霧の中から、
意味を離れ唐突に意識の中に上ってきた。
たとえば「かわいい」なんていう言葉より速いスピードで、
私の中を駆け上がってきた。その速さにたじろいだ。

名前というのは、言葉だろうか。
(私はそんなことがわからなくなっている)
言葉は、音は、一人の人間の中におとなしくしていることなんかできない、
そういう暴れん坊?なんだと思った。

上手く言えてないなぁ。
言えるわけないんだ。いいんだ。今日はここまで。

2016.4.13







雪と青空

2016.4.12

黄花カタクリ

昨日、城山かたくりの里に行った。
紫色のカタクリはもう終わっていたが、
黄花カタクリが見ごろだった。
私は紫色のしか知らなかったので、とっても嬉しかった。
アメリカやカナダの少し高い所に咲いているんですって。

桃も前より好きになった。

2016.4.10
 

マツバウンラン

去年の5月に、得体のしれない草取り男が抜いてしまったと、
私は怒っていた。

同じ場所に一本ひょろりと咲いているのを、お昼頃通りかかって見つけて、カメラを持って撮りに戻った。

ゆらゆら揺れて儚げ。
今年はどのくらい咲くかな。抜かないでほしいな。

2016.4.8


なんの話?

海か川かと問われれば、疑うことなく自分は川だと思う。

今日は雨で、一日中黙って万華鏡の仕事をしていた。
そんな日は、自分が深い川 のように感じる。

昨日は良い天気で、少し遠くまで散歩をして、
たくさんの植物と話をした。
そんな日は自分が、音を立てて流れる浅い川であるように感じる。
日が傾くと、西向きの玄関のドアの覗き穴に真っ直ぐに光が差して、部屋からは、
震えながら色を変えながら強く光る宝石のように見える。
椅子に座ってじっと見ていても、消えてなくなってしまう 。
そんな短い時間がある。

川の話?
違う、光の話。
光を抱えて流れるか、
光を受けて流れるか。
やっぱり川の話?ひとすじの川の話?

2016.4.7

散歩2  かわいい木

かわいくて、きゅんとするよ。カリンの花。

太い幹から急に生えた銀杏の葉っぱは、
赤ちゃんでも銀杏の形。すごいね。

2016.4.6
 

 

散歩1 水辺

桜が咲くころ川岸を黄色く彩るセイヨウカラシナ。
私は菜の花より好き。

2016.4.6


クサノオウ

15年ほぼ毎日歩いていた道に、
初めてクサノオウの花が咲いていた。
嬉しい、のかどうか、よくわからないけれど、
摘んで来たところを見ると、
きっと笑っていたのだろう、私は。 

2016.4.5

万華鏡くらいはね

渋谷の東急本店でやっている、三井郁弥さんの万華鏡コレクション展を見に行ってきた。
やっぱりシェリー・ナップの「エメラルダス」好きだわぁ。
18年くらい前、昔館で初めて見た時、
「これと同じものが作りたい」と強烈に思った。
自分らしいものを作りたいとかなんて、全く考えていなかった。
同じものが作れるわけもなく、
いつの間にか自然に、自分の万華鏡を作るようになって いったけれど、
「エメラルダス」を覗くと、その頃の気持ちが蘇る。
チェスニックのホイール万華鏡も、また別の意味でわぁっときて、
うるうるっとする(なんだこの言葉)。
私の万華鏡も6本くらい並んでいる。
恥ずかしながら自分のも覗いてみて、最近の自分を反省。
抑制する力がなくなっている。
もっとストイックに生きたい。万華鏡くらいはね。

2016.4.2


 

3月20日

一日のほとんどの時間をひとりで過ごしている。
だから?なのか、それなのに? なのか、
頭の中で誰かと会話している時間が多い。

と言うか多すぎる。

いい加減ひとりにしてくれ、私の脳味噌。
そうじゃないと、私が私から逃げるしかなくなってしまう。 

2016.3.20

大きな白木蓮の木

帰っていく人を見送って、夕方、
白木蓮を見に行った。

どの花も空に向かって咲いて…
立派すぎるぞ、白木蓮。 

2016.3.17

鏡を切る

なにもあげられない、ってこういうことなんだね。

結構辛い。やってらんねえ、なんてね。
でもダイジョブ。
私は今日、耳を澄ませてミラーをたくさん切って、たくさん組んだ。 

このミラーで絶対、いい万華鏡を作る。
だから、なにももらわなくていい。

本当は私、猫かもしれない。
そう思うと、気持ちが楽になる。
人間の私は幻。

笑、あばずれの化け猫かな。

2016.3.14





 

クリスマスローズ

12年前に植えた時は真っ白だったクリスマスローズが、
今年はこんな色の花を咲かせた。
驚かない自分に対する、嬉しい驚き。

トン、トン、トン、トン…
静かに背中をたたいてもらった、そのリズムを憶えていたくて、
自分の右手で左の肩を抱いて 、
トン、トン、トン、トン…とたたいてみたら、わかったこと。
あんなに長い時間自分で自分をいたわれないということ。

ん…何を書きたかったのか、わからなくなってしまったぞ。

2016.3.12

お知らせ

この「日々」を見てくださっている方々がいてくださることに、
なにはともあれ、心から感謝します。

で、今日、すごく久しぶりに「お知らせ」を書きました。
これからは「お知らせ」も気にかけていただけるように、
がんばっていきたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。えへへ…

2016.3.10
 

calling you

昨日の朝から頭の中で鳴っている、女性ボーカルの「あ~あああ~」という曲がなんなのか、
電話で友人に歌って聴かせると、わからないという。
今日昼間彼女から電話があり、映画「バグダッドカフェ」でジェベッタ・スティールの歌う「calling you」だと 言う。
彼女の友人、願わくば私の友人である、ふーちゃんに歌って聴かせたらすぐわかったと。

ふーちゃん、ありがとう。当たり。
肩の荷が下りた感じ。

2016.3.10
写真はヒマラヤユキノシタ。



ささいなこと

ささいなことなのだけれど、
トイレのドアを開ける時、お化け屋敷のような音がするようになって、
だから夜はトイレに行きたくない。
でも行かないわけにはいかないから、
辛い、ばかばかしい、辛い、ばかばかしい、情けない。

ユーカリの茎を切ると、とてもいい匂いがする。
その香りに励まされて、今夜最後のトイレのドアを開けよう。

2016.3.6


傾くヒヤシンス

切って水に挿そうか、棒を立てて支えようか、迷いながら、
香りの強さに 、あちらへこちらへ、というより、
あちらへ、さらにあちらへ、と移動させ、真夜中の玄関で落ち着いた。

魚売り場で、手のひら大の瓶に入ったクリオネが売られていた。
「観賞用 980円」
目を凝らすと小さな赤いものが数個ゆらゆら揺れている。
本来の私なら絶対買っていたはずだけれど、、
瓶の中で死んだクリオネのことが目に浮かび、手が出せなかった。

眠ってしまうと、頭の中で生きている人も死んでしまいそうで、
なかなか眠る気になれない。
目覚めると、眠りの中で生きていた人が消えてしまうのだと思い、
罪悪感にとらわれる。
こんなのはおかしい。間違っている。

もうすぐ午前3時。
夜なのか朝なのか。

コブシの花が咲き始めた。
昼も夜も、春。

2016.3.6


3月3日過ぎ

ひな祭りが終わった、なんてね。

2016.3.4

ミモザでしょ!

落胆期待落胆期待の、
この数日のジェットコースター 状態を、今日脱したみたい。

船堀の工場長、ありがとう!

春は黄色い花で始まる。

明日は3月、やっぱり、ミモザでしょう?

2016.2.29
 

ともだち2

「最近のあなた、酷いよ!」
怒られた。

ぐでんぐでんに酔っぱらって電話で、
今日と同じことを言ったらしい。憶えてないけど。

昼間すごく反省した。

だから今夜は電話しない。

2016.2.28


 

quiet

一瞬一瞬の連続が時の流れだということを、
小さな子供と過ごすと、とても強く実感することができる。
(これは、記憶力のなくなってきた自分のための、ただのメモ)

15センチのオイルタイプの万華鏡を作り始めた。
オブジェクトケースの直径が5センチはないと、自分の作りたいオイルの万華鏡は作れないと、
長い間こだわり続けた。
小さいオイルタイプを作ってくださいというお言葉はたくさんいただいてきたのに、
頑なに「できません」と言い続けた。
あるいは「はい」と嘘をついていた。

小さい(普通の)サイズのオイルを作りたいと思うようになったのは、
申し訳ないけれど、ご要望にお応えしたからではなく、
とても自然な自分の流れなのだと思う。
でも、すごく楽しい。

このシリーズの名前は?と尋ねられて、
quiet
とっさにそう思ったのだけれど、
英語が堪能で愛犬家の友人に相談したら、
「却下」

考えて考えて、その却下をはねのけて、やっぱり
quiet  
でいきます。
静かに。そしてひとつひとつに名前はない。

2016.2.24











眠り

床に座って、椅子に頭をのせて眠ると、
いろいろな夢を見る。
昼間苺をもらって笑っていた自分とか、
会いたい人の笑顔とか、
さらさら流れる春の小川みたいに、
嬉しいことが次々に現れて、目が覚めても少しの間憶えている。

2016.2.17


彼女

どうだった?と電話で訊くと、
ふんと鼻で笑う。

ちっちゃな戦いみたいになってくるじゃないか。

2016.2.16

お元気ですか

この言葉、大嫌い。

寒くて、凍えそう なんだ。

山道で俊敏に振り向く鹿のように、
遠くから,今すぐ跳んできてきてほしいんだ。 

2016.2.15

プレゼント

もう、物はいらない。
もらうことも、あげることも、なくていいんだ。

はたちよしこの「ほし草」。
お礼にね。

         ほし草

すこしずつ
じぶんが かるく
からっぽに なってきた

こんなに やわらかな
のんびりとした
じぶんがあったなんて


以上。2016.2.10



lesson2

受け入れて楽しめ、と。

私はできの悪い生徒だ。
今朝もまた悲しみとともに目覚めた。

2016.2.6

地震

朝、地震があって、
色々な物が倒れた。
積み上げていた本が崩れ、
ベニスカシジャノメやツマムラサキマダラの標本が倒れ、
蛍石や山入水晶の入ったガラス容器が床に砕け散り、 
私の作った木のお姉さん人形が行方不明になり、
猫がシーソーから転げ落ち、

そんなことを、話したかったんだ。
まるで、あなたのせいだと、言うように。

2016.2.5



lesson

珈琲が、ひとつの穴からポットに落ちると、
なにが変わるのかな?

いつでも…

2016.1.31




話がしたい

今日行った場所、日本民芸館。
今夜観た映画、ガタカ。

2016.1.30

1月28日

ちょっとそこから合図を送るように、
じゃあ、と手を挙げて遠ざかる人。
そんなふうに呑気な笑顔を見せられたら、
ぷっと吹き出すしかないじゃない。

あなたがいなくなって、
私は少し太った。
花屋からの長い坂道を元気に歩いているよ。 

2016.1.28

ビワの木のこと

ビワの葉は長くて大きくて、
一枚の葉の裏に、いくつもの蝉の抜け殻がしがみついている。

それはいつの夏の抜け殻なのか…
訊ねても詮無いことね。
この世の誰も、たぶん憶えていないのだ。

ごめんね。
これが私の口癖で、ついさっきまで今夜も繰り返していた。

2016.1.27


私の好きなビワの木のこと

シマトネリコの葉の、さやさや鳴る音を聴きに行く。それから。

線路沿いの道を右に逸れ、団地の中の小道を、
人のいない方へ、いない方へと歩いていくと、
大きなビワの木が立っている。

一番低い枝に腕をかけて、少し話をする。
言葉は、私の口ではなく耳を通して行き来するのが、
不思議なようで、当たり前のような気もする。

ヤマノイモの蔓が今日の散歩のお土産。
それから、今年初めてスミレを見たよ。それがもう一つのお土産。

2016.1.26




私の右手を、私の左手が握りしめる理由

私が一番書きたいことは、本当はわかっている。
でも、その書き方がわからなくなって、
立ちつくしている。

2016.1.24







夜の花屋

自分のための花束だって、自分が選んだものでは駄目なのだ。

自分のための小さい500円の花束と、
誰のためでもないピンクのチューリップと麦を買った。
家に帰って包みを開けると、
チューリップと麦に黄色いラナンキュラスが添えられていた。
それを見たとたん、その包みが私のための花束になった。

「これからの10年を、今までで一番幸せな10年にしましょう」
そう言ってくれた人がいて、私はほんの少し歩き始めることができた。

誰かのさびしい想いに、一輪添えることができたら…
そんな気持ちで万華鏡を作りたいと思う。

2016.1.22






夜中

スマホは黒い水たまりみたいね。

2016.1.20


見出しなんてないけど

大変だったこの数か月のことは、
もう一言も話したくない。

遠い遠い話をしたい。
長男が5歳の頃、幼稚園で新聞のチラシを丸めて作った剣を 毎日たくさん持って帰ってきた。
初めは太くて弱くて フカフカしていたが、
だんだん上達して、細く鋭く強い剣を作れるようになった。

そんな話を、長男の5歳の息子が真剣な顔で聞いてくれた。
私は剣作りの師匠になり、孫はその弟子になった。

雑音に惑わされるな。
指先に集中せよ。
右手と左手の力のバランスを崩すな。

剣を作ったからには戦う。
家の中を駆け回り、互いに容赦なく剣を振り下ろす。
負けたり、勝ったり、卑怯な手で組み伏せたりもする。

戦ったら、甘える。
安心して幼い顔に戻り、身を、心をゆだねてくる。

2016.1.17





名前

フウセントウワタ(風船唐綿)という名前が好き。
好きな名前は何度でも胸の中で唱える。
おまじないの言葉。神様を持たない者のおまじないの言葉。

ほかにもある。
掌状複葉とか。おかしい?

これはオランダから来たフウセントウワタの実。
形がちょっと違うね。

2016.1.15

今日のこと。

この世には「私」が充満していて、
わたしは「あなた」をさがしている。
誰でもない。何でもない。 
わからないものに向かって腕を伸ばし、
この地面を離陸する。 

2016.1.12

ぱらぱらぽとり

ぱらぱらとぽとり。山茶花と椿。
生まれかわるなら、ぱらぱらと散る山茶花がいいな。
散った地面が明るくなるもの。

珈琲をいれてみた。
水っぽくて、美味しくない。
明日もいれてみる。明後日もその次もやってみる。
鉢植えの土に水を注ぐように、祈る気持ちでお湯を注ぐ。
そもそもこれが、間違っているかも。

2016.1.10



晴れた日のお土産

気がつくと、同じことばかり思っている。
水面はキラキラ光っていて穏やかで、
川下に向かっているのか、遡っているのかわからなくなる。

ナンキンハゼの白い実と、ヘクソカズラの茶色い実と、
モミジバフウのイガイガの実。
長い散歩のお土産。

2016.1.9

夜の匂い

夜、玄関のドアを開けると、どうして、
こんなにいい匂いがするの?

黒い樹の影の匂い
遠くに見える大山の匂い
人が黙っている、匂い 
明日の朝の、楽しみな匂い 

2016.1.7

このくらいの香り

このくらいが持続すればいいのに、
花はどんどん咲いちゃう。
これ以上咲かないように。
それはとても難しくて。

2016.1.6

ともだち

こんなくだらない話するの、あんただけだよ、って言われた。

2015.12.25
 

色々な匂い 

川上弘美の「センセイの鞄」を急にまた読みたくなって、
書庫から引っ張り出してバックに突っ込んで出かけた。
電車の中で本を開いたら、古本の匂いで吐き気をもよおして
結局読めなかった。
2001年の初版だから約15年前。たった15年前。
古本の匂いで気分が悪くなることなど、考えてもみなかった。

神田→神保町→御茶ノ水。今日の旅。
すぅっと短いまっすぐな線を何度も見た。

帰りに文庫本の「センセイの鞄」を買って帰った。

2015.12.25



花や草や木のこと

切り花を見るのが辛い。
特に百合は胸が苦しくなる。
こんなことを 言う自分を憎んだりする。
でもそういう自分を守るのは自分しかないと思う。

「はちうえはぼくにまかせて」という絵本は、
私の大大大好きな絵本のひとつで、
家の中をジャングルのようにする少年が好きで繰り返し読んでいる。

この部屋をジャングルにしたいな。
ジャングルへようこそ。
そんなふうに好きな人をお招きしたいな。

2015.12.24



夜の色々な匂い

今日使った全部の布きんや台ふきをを漂白して、
ベランダに干す、毎日の夜。
大文字草の鉢に顔を押し付けると、強い花の匂い。
あんなに可愛い大文字草が…

2015.10.21




水の中の白い根

ほら見て。
ヒヤシンスの根がこんなに伸びた。
水を求めて根は伸びるんだって。
伸びだしたら空気が必要なんだって。

球根に水が触れないように。
水が濁らないように。

球根の世話はいつも夜。

2015.10.16

鈴蘭

秋は鈴蘭の葉の色の変化も、気にしながら歩く。
枯れ方がぐっとくる。 

2015.10.14

大文字草

大文字草を買ったと電話で話したら、
大文字草なんて、なんで買ったの かと驚かれた。

そうだね、山の中に暮らすあなたなら、
川の水辺にいくらでも咲いている草だからね。
そうだったなと、思って笑った。

来年、春が来たら大文字草を鉢から地面におろすつもり。
裏のユキノシタの白い花の隣。好きじゃない椿の木の下あたりに。

「なんでこんなに可愛い姿で咲くんだろうね」と、
花屋のおじさんと ひとしきりうなずき合って、2鉢を買ってきた。
「毎年咲くよ」

咲きますように。

2015,10,12
 

今日の眺め

小さい眺めを、大きな景色に見立てる遊びを教えてもらって。
真似したくてカメラをさげて歩いたけれど、
易しそうで難しい~
心持ちがゆるゆるぴかっと していなくては。

いつも、花接近真ん中シャッターだから、
今日のところは、これでもちょっと、まし。

2015.10.3

秋のオニタビラコ

春のオニタビラコはそこらじゅうに、
ほんのちょっとの土さえあれば咲いていた。街中って感じで。
でも夏の暑い時には花がどこにも見えなくなった。

涼しくなって秋が来て、ひょろっと細い茎の小さい姿で咲いている。
数もずっと少なくなって、儚げ。

おまけの紫色は、川のそばのクコの花。 

2015.9.29

彼岸花の赤、クヌギの黄緑

2015.9.23

コミカンソウ 続き

コミカンソウの実がこんなに朱くなった。
本当に蜜柑みたい。
一方、窓辺のコミカンソウの実はまだ朱くない。
それどころか蜜柑色になる前に黒ずんできた。
可哀想なことしたなぁ…

2015.9.21

切手

楽しみに待っていた、酒井駒子の切手の発売日でね。

2015.9.18







秋の光がさしている

エノコログサ。

2015.9.15



コミカンソウ

これがコミカンソウ(小蜜柑草)の葉と実。
1~2ミリの小さい蜜柑みたいな実。
小さい草は知らぬ間に抜かれてしまうので、
一株抜いて鉢に植え、窓辺に置いてある。
夜は葉を閉じて眠ります。

コミカンソウについて色々読んでいるうちに、
かねてより何かなと思っていた、
草のような低木のようなヤツの名前がわかった。
ナガエコミカンソウ(長柄小蜜柑草)。3枚目の写真。

2015.9.13

ベニバナボロギク

雨に濡れたベニバナボロギクの花の色がとても可愛いかった。

ネットでベニバナボロギクを検索すると、
思いのほか詳細な説明文を読むことができる。
その言葉をたどっている時間は、誰にも干渉されない素敵な時間だ。

一年草ベニバナボロギクの一生はそんなに悪くない。

2015.9.11


ツルボ

公園の師匠に教えてもらうことは、いっぱいある。
「いっぱい」は数ではなくて量。
師匠は小学2年男子。 名前は知らない。

夏休みが終わってうっすらと秋が来て、
また日暮れまで師匠の声が響き、
ぱっと静かになり暮れていく日々。

大きなバケツを持って公園に行こう。
師匠に教えてもらったように、砂場を越えて流れる川を作ろう。
そんなことを思いながら花水木の木を見上げていると、
師匠は走ってきてくるりと半回転しながら私の顔をちらっと見て、
走っていく。

師匠が私にくれるものはいっぱいある。
私からのお返しは何もないけど、
砂場の向こうにツルボがたくさん咲いているよ。
今だけ、ピンク色のツルボが咲いているんだよ。
そんなもの、若い人は興味ないね。

2015.9.5


昨日のことや今日のこと

友人の携帯電話は、音がブツブツ途切れてよく聞こえない。
今夜はほとんど何も聞こえなくて、
時々「ごめんごめん」という声が聞こえる。
私の声はちゃんと聞こえているらしい。
「聞こえない聞こえない」と私は言い続け、
「ごめんごめん」と 彼女は言い続けていたんだろうか。

4歳児と、4歳児より食べない大人が眠っていて、
窓ガラスにチッチッチッチっと雨があたる音がしている。

昨日は恵比寿で展覧会を見た。それから、
浅草橋でガラス棒を買った。
一番白いのが欲しいと言うと、
「これがパキっと白いです」とパキっとした答えが返ってきた。

帰宅して在庫の白いガラス棒と比べてみると、確かに白が濃い。
今まで凄く白いと思っていた色が、
ふわぁとやわらかく遠ざかるような、笑っているような感じがしてくる。

2015.9.3

エノキ

公園のエノキ。
いろいろな色の実がかわいい。

2015.8.25

百日紅

自分のためだけに書いている場所を、失いたくない。

2015.8.24


鷺草が咲いた

今日、鷺草が咲いた。
そうだ、夏だったんだ…と気づく。こともある。
暑い暑いと汗を流しているからといって、
夏だと思うともかぎらない。気温=季節ではないし、
そういう自分でいいじゃないかと、みんな思っているのだと思う。

細野朝士&佐藤元洋さんのコラボ万華鏡を買った。
私は万華鏡が好きではない。
そういう絶望を払いのけてくれる、素敵なヤツなんだよ。

2015.7.24


リューカデンドロン

ノートパソコンの画面を向こう側に倒しぎみにして見ると、
実物の紅色の味わいや透明感に近くなる。

色ってどこにあるのかな、とか、
本当の色を見ている自信がないとか、よく思う。

紅色の部分は花びらではなく苞葉。硬いです。
花は苞葉に包まれている。 

2015.7.21

夕方から夜に移り変わる頃、
東の空に虹が出ていた。

2015.7.18

久しぶりだな

右目の調子が随分良くなってきた。
これからも繰り返すのが怖いけれど、
覚悟はできている。

一か月ほど前に買ったサボテン「白鳥」。
花なんか、咲かなくていい。

2015.7.18
 

目を患って、養生中。
でもこのくらいはやってもいいんじゃないかな、と…

2015.6.29

鳩の鳴き声

ふふっふふーふー ん ふふっふふーふー ん、と
夏の朝くぐもった声で鳴いていたのは、鳩だったのだと解ったのは、
おばあさんになってからだ。
大きな木の中に住むフクロウの声だと長いこと思っていた。

今日、新宿駅東口の広場で、ホームレス風の男がコンクリートの地面に寝そべって、
何か口に入れては、ペッと吐き出して、それを十羽くらいの鳩が右往左往しながら啄んでいた。
その男の笑顔。「さびしいひと」なんて言えない。

あの鳩たちも、ふふっふふーと明日の朝には 鳴くのか、
それとも私の知らない声で鳴くのか。

2015.6.10

雨上がりの

ここは、どこにも繋がらないと。
ひとりで穴掘って呟くところ、と。
思っていた。

見たことのない花。
聞いたことのある声が、聞こえてきた。

2015.6.9



サボテンの花 2

曇り空の午前中は、色々な音が聞こえる。
車の通る音、マンション建築現場の音、
犬の鳴き声、鳥の囀り、
電車の走るリズミカルな音、
自転車を止める音、人の話し声…
もったいないから、音楽はかけないでいよう。

もうひとつのサボテンは、丸い身体に黄色い花の冠をのせたような姿。
小さい花がぴったり寄り添って輪を作っていた。
花が萎れると、その輪が崩れ、隙間に新しい蕾が生えてきた。
新しい蕾のために場所をあけたのかも。

晴れた日には目が良く見えて、曇りの日は耳が良く聞こえる。
気のせいだとは思うけど。
そんなふうに体の中で何かが開いたり閉じたり、
何か水のようなものが右へ左へ前へ後ろへ、
傾きながらも流れ出ることはなく、
体の中に留まっていると感じられることは、幸せなことだと思う。

2015.6.8

サボテンの花

サボテンの花を咲かせるのは難しいなぁ、と思っていたので、
絶対咲きそうな蕾を持ったサボテンを買ってきた。

こんなふうに咲く蕾もある。可愛いでしょ。

でも、付き合いが浅いから、サボテンの開花の呼吸がわからない。 
昼間花が開き、夕方には閉じる。
それを2、3日繰り返し、「また明日ね」という気持ちで眠ると、
翌日は蕾を開かない。急激に頑なになっていく、昨日までの花。

やれやれ…植物で癒されようなんて、甘い考えかもしれないね。

2015.5.28
 

御徒町から秋葉原まで

歩けるかな、
途中で歩けなくなったら、どうしようと思いながら、出発。

身体が痛み、不安が募ってくる頃、
黄色い花が、いっぱいの蕾を抱えて溢れるばかりに、道沿いに咲いている。
あぁ、そうだったね、去年もその前も、そうだったね、と思い出す。
キンシバイかな?違ったっけ?
梅雨の予感の中、明るく露払いをする黄色い花たちのひとつ。
空気が水を含んでくるのは、とても素敵なことだ。

2015.5.23

ドクダミ

立ち上がる花序。
純白の十字の総苞。
茎と同じ小豆色に縁どられたハート型の葉。

地面に群れ咲く様子も頼もしく愛らしいが、
一輪手折って差した姿もいいじゃないか。でしょ?
この匂いも、次に続くクチナシと雨への導きの掌になる。

嬉しい。
桜の時のようにバカ騒ぎはしないけれど、
地面のこのささやかな祝祭を
胸を抑え抑えしながら、味わっている。

2015.5.20


わからない

得体の知れない男が、時々草取りをしている。
這いつくばって土に顔をつけるようにして、
狭い地面の草を一日中抜いている。

3階の窓からその姿が見えた。
そんなふうに、人の中に人は入ってくる。

今年、マツバウンランがそこに咲き始めて、
それを見るのが毎日の喜びだった。

細い茎がひょろっと伸びて薄紫の小さな可愛い花。
守ってやらなくても、いずれ生き延びて群れて揺れる帰化植物だ。
けれど、その姿を見るのが嬉しくて、
行ったり来たりしながら顔を近づけていた。

昨日の夕方通りがかったら、すっかり抜かれていた。
同じ地面に咲いているニワゼキショウは手つかずで。
花の咲いていない草は生えている。
その草取りの基準がわからない。
わからないまま、そんなふうに人は人の中に入ってくる。

2015.5.5



アスチルベ

夏休みの絵日記って、
思い出しながら思い出せないながら、行ったり来たりの笑い話で。

そんな感じで、この日々も。

いい歳してるんだから、しっかりしなくちゃね。
そう言われても、死ぬまでこのままかもしれない。
そう思うと不安で胸が苦しくなる。

でも、私は大丈夫。

2015.4.28


散歩

初夏の陽の下、往復1時間半の散歩。
こんなに歩けると思わなかった。あぶないところ。

植物図鑑を見るのが至福の時、というのでは寂しいか?
しょうがないだろ、事実なんだから。
いや、二番目の事実。
生きている植物に出会えるのが、なにより。
いやいや、もっと嬉しいこともあるぞ。

2015.4.28
イチョウの雌花(小さいの)
オニグルミの雄花序
ヤブデマリ

夏に向かう

隣の公園の、藤棚の藤の花に
クマバチがブンブン羽を鳴らして蜜を吸いに来ていて、
それらが太った大きな体で人間にも体当たりしてくる。
スズメバチと違い穏やかな蜂と知っていても、
慣れていないので、怖い。
亀戸天神とか、あしかがフラワーパークとか、
藤の花の名所ではどんな感じなんだろうか。

桜、海棠、花水木、ときて、あとは転がるように夏に向かっていく。

でももっとたくさん、とてもたくさんの草と花。

2015.4.22

ハナミズキ
ハナミズキ
ハナミズキ
スズラン

翁草

考えても考えてもどうにもならないことは、
考えるのをやめろ、と親しい人たちに強く言われる。

難しいねぇ。
でも、そうするしか仕方がない。

たとえば、真夜中、翁草の花のその後を 撮ることにうつつをぬかす、
とか。 
そんなことからやってみるとか。

2015.4.18

林の中の地面では

群れを作って咲くニリンソウ。

同じ花を見ると同じ春が来たような気がするけれど、
同じ春なんて、同じ時なんて、ない。

気持ちを充分に表す言葉を持たない自分。
嬉しい、悲しい、寂しい…
その下の気持ちを表そうとすると、
不可解な言葉になる。それは嫌だ。嫌なんだ。

2015.4.12


ヒメウズ

今日はヒメウズに会えた。
嬉しい気持ちが真夜中まで続く。

2015.4.10

木の実は旅する

月刊 『たくさんのふしぎ』2015年5月号
「木の実は旅する」(福音館書店)

知っていることがたくさん書いてあって、
知らないことはもっとたくさん書いてある本を読むのは、大きな慰めになる。
そんなこともあって、私は今でも子供の本を読むのかもしれない。

「 木の実はどうして、旅するんだろう?木の実には旅する理由がある。それは、子どもの木と親の木はおなじ場所では生きていけないから。」

いいな。この言い方。子どもにこの言い方、いいな。

2015.4.9

セリ科

桜の開花を頂点に据えた覚えはない。
けれど、そんなふうに錯覚するほどの木々の芽吹き、花の勢い。

木々、草々、花々。
地に生えるそれらの勢いに圧倒されて、少し逃げて…

オルレア。花屋で買った花。
おとなしくて、ほっとする。

2-15.4.8
 

一昨日の桜

ソメイヨシノのこの咲きかたが好き。
手の中におさまるくらいの、丸いかたまりになって花が集まって咲き、
それが 枝に身をゆだねるように、
わっさわっさと風に揺れている様子が好き。

今日は曇り空の夕方、クリーニング 屋に行った帰り、
遠回りして桜を見上げた。
薄暗い空にぼんやりと立つ木を、
どの季節も心に親しく見続けてきたのだ。
開花を待つ春も、葉の繁る夏も、秋の生き生きとした落ち葉の色も、
レース模様のような冬の樹形も。

昨日も今日も明日もね。
桜も人も。その他いろいろも。

2015.4.2



白木蓮と雪柳

3月は春の花のリレーのようで、
そのスピードはぐんぐん上がって、
私を追い抜いて、先へ進んで行ってしまう。
置き去りにされないように、急ぎ足で追いかけるのが、
最近ちょっと大変。

雪柳は私にとって卒業の花。
卒業と同時に会えなくなった人達を想っていた頃、咲いていた花。
40年くらい前のことだ。
溢れるように群れ咲き、白が光を放って眩しい。

もうしばらくすると、老いてその記憶も消えてなくなるかもしれない。
その時はせめて、白く光る雪柳の前で、
理由は解らずともじっと立ち止まる、私であってほしい。
これはとても贅沢な願いだけれど。

2015.3.27

ミモザ

「ばば、しむの?」
4歳児に唐突に訊かれた 。

「死なないよ」
とっさに答えてしまったが、もっと適切な答えがあったと思う。

遊びながら、暮らしながら、
子供が脈絡もなく口にする 言葉は、零れ種のようだ。

ミモザの黄色い花が咲いている。背の高い木で。

りんごと、みかんの缶づめと、ハムと、ゆで卵の白身、
それをマヨネーズで和えたものに、
裏ごししたゆで卵の黄身を たっぷりかける。
それが私のミモザサラダ。甘い、酸っぱい。母の味だ。

2015.3.25


35%

占いは嫌い。興味もない。なのに…

駅ビル隅の仕切られた、小さな机の前に座っていた。

私はこれからどうなるのでしょう?

生年月日と名前をローマ字で書くと、
占い師さんは目の前で電卓をパチパチパチパチ叩き、
「私(hosoi)」の内面と外面と過去を、紙に書きながら話し始めた。

35%当たり、35%外れ。30%不明。

「クリエイティブなことしていませんか?キラキラしたこと」

万華鏡を作っています。

「文章を書くのが好きな人も多いです」

…沈黙(くだらないことを、無性に書きたくなります)

彼女には人生は4段階しか占えないらしい。
私は予測できないほどもう長生きしたらしい。57歳だけど。
そういえば、20歳のころ「40歳になれば楽になれる」と思っていた。
30歳のころは「50歳になれば」、40歳には「60歳になれば」と。 

そんなことはない。
思いがけないことの、大小細々で、
こんなに些細な 人生の小道さえ渋滞してしまうのだ。

20分3240円。
ちょっとした交通整理に、それほど高くない。

2015.3.10

兄の特技

3月1日は私にとって、とても大切な日。
20年近く前に父が倒れ、私の一番大切な友人の母親の亡くなった日。

「お父さんが血を吐いて倒れたんだよ」
携帯電話を通して、のんびりした声で兄が言うので、
何が起こったのかわからなかった。

兄はいつもそうだ。
人の心を、ほろほろとほぐしてしまうのだ。
私はいつも兄のようになりたくて、なれなかった。

一年に一回か二回、会う。声を聞く。

話したいことがある。
「そうか」とただ言って、聞いて欲しいことがある。

2015.3.1







春の周辺

落語が好きで、毎日CDで落語を聴いている。
およそ月に一度は目の前で噺家の話すのを聴く。

7年前の春、オオイヌノフグリの群れ咲く写真を古いブログに載せた。
高校を卒業する日の男の子達の可愛さと重ねたのだ。

落語を聴きに行くと、聴衆の年齢層の高さに、うっと背筋が伸びた後、
心の中にお湯が注がれるように身体が楽になる。

あれから7年、オオイヌノフグリの群れは、白髪交じりの、
いや白髪だらけの、重いが妙に軽い私たちの群れに重なる。
重なって、少し笑う。

150円でビオラの鉢を買ってきた。
紫色と黄色と白と緑が、例えようもなく懐かしく、
それを肴に一人で呑んでいる。

2015.2.28
 

おまじない人形

ごつごつした私の掌にあるのは、
グァテマラのおまじない人形。
心配事をこの小さな人形に打ち明けて、枕の下に置いて眠ると、
朝には心配がなくなっているという。

4歳児に、これからやってくる心配事について、
生々しいことなど言いたくないから、
ふわふわと誤魔化して、上手く説明できなかったけれど、
帰り際大切そうにポケットに入れて、
お友だちに意地悪されないようにお願いする、と言った。

眠れない夜など、私がすべて引き受けよう。
たいしたことじゃない。 

小さい小さい者たち、頼むぞ。

2015.2.24

ラーメンの話か

時々、ラーメン屋にラーメンを食べに行く。
とても食べたくなって。

けれど、食べた後、
「私はラーメンが好きではない」と思う。

複雑な味がして、たぶん私には食べこなせないのだと思う。

吉本ばなな原作の「キッチン」という映画があった。
1989年度の作品だという。
長い間私は、繰り返し繰り返しその録画を見てきた。
その理由を言いたくないほど見続けた。
その中で夜中にラーメンを作る場面がある。
そのラーメンが私の食べたいラーメンなのだと思う。

友達が、「寂しいことばかり書くな」と言うから。
今日はラーメンの話にした。

高山辰雄の「食べる」という絵。
子供が無心に食べている絵だ。背景は赤い。
食べるということには喜びと悲しみがいっぱいに詰まっている。

ラーメンの話は、きっかけ。

2015.2.14







イカの握り

ほっそりと小ぶりなイカの握り寿司。
それが私の一番好きな食べ物で、
最後の食事は、叶うことならそんなイカの握りを三貫ほど…
そう思っている。

3年前の夜のこと。疲れて絶望していた夜のこと。
「お母さんは手の届く幸せは掴んだほうがいいよ」
そう言って次男が寿司屋に電話をした。
しばらくして届いたのは、大きな寿司桶いっぱいに、
二人で食べきれないくらいのイカの握り寿司だった。

小さすぎる幸せだろうか。
確かに小さい。
けれど、その時の私は天地がひっくり返るような、
嬉しい驚きでいっぱいになった。

時々、ひとりで回転寿司に行く。
「イカ2皿お願いします」と声をかける。
食べ終えるとまた、
「イカ2皿お願いします」と声をかける。

2015.2.10



花を買う

寂しくて、
キッチンの流しにも花を生ける。

サボテンの土を買いに行ったが、
重くて持って帰れないと悟り、諦める。

明日は別の希望について考える。

2015.2.8
 

二月

昨日お雛様を飾った。
花を買った。

2015.2.7



prismに行ってきた

昨日名古屋、覚王山アパートのprismに行ってきた。
prismは今月いっぱいで閉店してしまうから、
寂しい気持ちを励ましながら、新幹線に乗って。

いしこさんの「大好き!」のエネルギーは凄い。
大きな割れないシャボン玉のようなのだ。

遠くにprismの存在を感じることが、大きな安らぎだったけれど、
これからは、いしこさんのような「大好き!」を見つけていきたい。
簡単なことではないけれど。

2015.1.27
 

好きなこと

もし好きなことについて書きたくなったらどうしようと、思い、
「日々」と名付けてみたけれど。
ですます?である?どうしよう。

和田まさ子という人の詩集を読んでいる。 
『わたしの好きな日』 
『なりたい わたし』

明日目覚めたらまた読むことができる。
それが嬉しくて今夜も眠る。

「何に向かって走っているのか
聞いてもしかたないことは聞かない
たぶん感情をもてあまし
それをふりこぼして  
走っていくのだ
どこにも着地できない者のために地面はある」
(「符号のように」より)

「じっと見ていると動かないのに
目をつぶった隙に
ゆるりと動いている星たち
せきたてられて
人に見られていても
あわてて動いてしまうわたしたち」
(「ミルキーウェイ・エクスプレス」より)

2015.1.23

                                                                                                           


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